こんにちは。Yukiです。
看取りって何度立ち会っても思うものがありますよね。
あなたは心に残っている看取りの体験はありますか?
看護師になって12年。
急性期の総合病院で勤めていた私は、新人のころから看取りの場面に当たることが多く、みんなから「当たる看護師」と言われていました。
今まで多くの看取りに立ち会わせていただきましたが、今回はその中でも印象に残っているいくつかの体験談をご紹介させて頂こうと思います。
初めてのがん患者さんの看取りの話
まずは、私が初めて関わったがん患者さんのお話をさせてもらおうと思います。
この方は肺がんで60代の男性の方でした。
初めてのがん患者さんの看護
この方に初めて出会ったのは、私が2年目の看護師だった頃です。
当時私は整形外科で働いていました。
隣が呼吸器科の病棟であったため、時々隣の病棟のベッドが空いてない時に呼吸器の患者さんが入院してくることがありました。
この男性もそんな事情で、私が勤務する病棟に入院してきました。
とても紳士的で、物腰も柔らかい男性で私たちにも丁寧に接してくださいました。
抗がん剤治療のための入院で、整形外科では抗がん剤治療を扱うことがないので抗がん剤投与の日はてんやわんやで、先生に教えてもらいながら行ったのをよく覚えています。
数多くいる整形外科の患者さんの中に、たった一人だけいる呼吸器の患者さんということでとても印象に残っていました。
徐々に変化する症状
それから数回にわたり抗がん剤治療のために入院してきましたが、なぜかいつもその人が入院するときは呼吸器のベッドがいっぱいで、私がいる病棟に入院していました。
そして私が担当する機会もとても多かったような気がします。
抗がん剤治療が進むうちに、味覚障害が出てきたと訴えがあり一緒に食べられるものを考えたり、私も自分で調べては味付けについてアドバイスしたりしました。
脳転移が見つかり人が変わったように暴れてしまったりしたときには、普段がとても紳士的な方だっただけにショックでした。
幸いにも放射線治療などが功を奏して脳転移はコントロールでき、元の人格に戻れましたが。
私が初めて関わったがんの患者さんであり、私自身もいろんなことが初めてで、手探り状態でした。
呼吸器の病棟に入院できた時でもしょっちゅう隣の私がいる病棟に顔を出してくれて「こっちのほうが何度も入院してるから整形外科の方がなんか落ち着くよ」と言ってくれたりもしました。
御家族の事情はあまり話したがらなかったので分かりませんでしたがほとんど面会はなく、入院の時も退院の時もいつも一人でした。
最後の入院
60代とまだ若い方だったので、がんの進行は早く最後は救急車で運ばれてきました。
その時も入院したのは私がいる病棟でした。
そして初めて娘さんが付き添っていました。私と同世代くらいの娘さんでした。
それから数日、徐々に意識も朦朧としていきました。そして、私が夜勤の日に最期の時が訪れました。
その夜、私が担当した時にはすでにもう意識はありませんでした。
その夜勤で何度目かの体位変換の時間。
側臥位から仰臥位へ、体を動かした刺激で一気に脈が伸び始め、そのままあっという間に止まってしまいました。
家族が見守る中、静かに、文字通り眠るように穏やかな顔でした。
最期の後押しをしてしまったとも思いましたが、家族が見守る中で静かに旅立てたのは良かったのかなとも思いました。
今思う事
最初からずっと治療に前向きに取り組み、弱音を吐くことも一度もない人でした。
おそらく御家族にも病状が悪くなるまで、ほとんど頼ることもなかったんだと思います。
それはこの方の強さでもあったのかもしれません。
でも今思えば、弱音を吐かないから大丈夫ではなく、弱音を吐かない人だからこそ精神面のケアに重点を置くべきだったのかもしれないと思います。
死への恐怖がない人なんていないはずです。
娘さんは私と同じくらいのまだ若い方でした。
きっともっと長く生きて見守っていたかっただろうし、やりたいこともあったかもしれません。
そうした思いをどこに向けていたか、分かりません。
私は私で初めてのがん患者さんへの看護を経験し、目の前のことに精いっぱいで精神面のフォローにまで配慮が出来ていませんでした。
最後までとにかく紳士的で私たちに対しての気遣いも忘れない方で、私にかけがえのない経験をさせてくれた方でした。
後悔の残る看取りの話
次は、私が最も後悔しているお話です。私が4年目くらいの時のことです。
この方は80代の脊椎の疾患の術後の患者さんでした。
ベースに糖尿病やその合併症も併発している方で、手術はかなりハイリスクでした。
手術自体は無事に終わりましたが、数日後に術後感染を併発してしまいました。
ご本人の思い
入院の時からずっと奥さまが付き添われ、毎日面会時間の最初から最後まで、ずっと奥さまが甲斐甲斐しくお世話をされていました。
お二人ともとても穏やかで優しい方で、看護師にも丁寧に接してくださいました。
「もうここまで生きたんだからね、十分なんだけど家族が勧めてくれたから手術を受けたんだよ。」
ご本人からこういうお話を伺ったことがありました。
週末にはお子さんやお孫さん達の面会でいつも賑やかでした。
ご家族にとても大切にされている方なんだなぁと私も感じていました。
突然の急変
術後感染のコントロールが付かず、検査データも悪化の一途をたどり万が一の時の話をしておいたほうがいいかもしれない、そんな話が医師との間にも出たころに、急変してしまいました。
日中の時間帯ではありましたが、面会時間ではなかったためその場に家族はいなかったので連絡を入れつつ、フルコースで蘇生を試みました。
自宅は近所だったため、奥さまはすぐに到着されましたがかなり動揺されていました。
自分だけでは判断できないからということで他の家族が来るのを待ってほしいと言われ、息子さんに連絡を取っていました。
薬を使っても、人工呼吸器を装着しても心臓は動き出しませんでした。
医療者の目から見れば、あきらめざるを得ない状況でした。
家族が揃うまで
息子さんが到着され状況を説明しましたが、今他の家族も向かっているのでそれまでは死亡診定は待ってほしいと言われました。
その間ずっと心臓マッサージを続けていました。
本人はきっとこんなこと望んでない。
無理やり呼吸させられ、散々胸を押され、絶対苦しいはず。
「もう十分生きた。」そう言っていたご本人の笑顔が浮かびました。
奥さまは部屋の隅でうつむいたままでした。
これは奥様の気持ちにも反しているのではないだろうか、そう思っても私はどのように伝えたらいいか分かりませんでした。
息子さんは必死にご本人に「がんばれ!いまみんなこっちに向かってるからな!」と励ましています。
息子さんも息子さんで、お父様のことを大切に思っていることも分かります。
でもこんな意味のない心臓マッサージを続けて体を傷つけて、これは誰のための処置なんだろうかと考えました。
しかしこの場面で、息子さんの気持ちもうまく汲みながら説得する言葉を見付けることが出来ず、部屋の片隅でうつむく奥様にかける言葉も見つけられず、ただただ他の家族が早く到着してくれと願いながら、心臓マッサージらしいことをしていました。
1時間が経過し、お子さんたちが揃ったように見えましたが、まだ相変わらず頑張れと励まし続けていました。
なぜだろうと思い、ちょうど部屋の外に出て行ったご家族がいたため廊下で「ご家族様はそろわれましたか?」と確認をすると「今孫が学校終わって向かってるんでそれで全員です。」との返答。
お孫さんまで待つ必要が果たしてどれほどあるのか。
それよりあのマッサージを今すぐやめて、楽にしてあげた方がいいんじゃないだろうか。
でもそれは私の感覚であって、この家族にとっては親族も全員揃ったところで診定したほうがいいのか。
何が正解なのかもうわかりませんでした。
それから15分後、ようやくお孫さんも到着して、親族全員が見守る中で死亡診定が行われました。
急変が起きてから2時間が経過していました。
今思う事
今にして思えば、いろいろと難しく考えすぎていただけなのかなと思います。
家族はただ、今行っている蘇生処置がどれだけ苦しいものなのかということを知らないから、家族が全員揃うまで続けてほしいと願っただけだと思います。
ご本人のことを大切に思っているから親族全員で見送りたいと思っただけで、ご本人にとって苦痛であるということを伝えれば、やめてくださいってことになったんじゃないか。
でも当時の私は、必死に励まし続ける家族の気迫に気圧され、どう伝えたらいいのか分からなくなり、結果何もできませんでした。
自分で出来ないのならもっと周りの人に相談すればよかったのに、それさえも考えつかず一人でどうしよう、どうしよう、これでいいんだろうか、このままじゃいけないんじゃないかと悶々と考えていました。
何から何まで未熟だった自分の対応を、今でも後悔しています。
そしてもっと早く、急変時の対応について家族やご本人に意向を確認していたら、あんなに苦しい思いを長い時間させることもなかったかもしれないという後悔もあります。
優しい奥様はきっとご本人のお気持ちも、息子さんのお気持ちも両方わかるから部屋の片隅でうつむくしかなかったのではないでしょうか。
もしかしたら一番後悔しているのは奥様かもしれません。
家族の大切さを感じた看取りの話
呼吸器の病棟に移ってから、整形外科より圧倒的に多い数の看取りを行ってきました。
いろんな形の最期があるなか、とても寂しい気持ちになった看取りがあります。
実は娘がいるんだ
肺がんでもうすぐ70歳になろうかという男性でした。
身寄りはなく1人だとずっと言っていましたが、いよいよ抗がん剤の選択肢ももうないぞという頃、実は娘がいると言い出しました。
でももう長年連絡は取ってないし、自分で連絡をする勇気がないから看護師さんから連絡してほしい言われ、連絡先を伝えられました。
携帯の番号が変わってなければこれでいいはずだと言われ、電話をかけると幸いにもちゃんと娘さんにつながりました。
事情を説明すると病院に来ると言ってくれました。それを伝えると本当にうれしそうに笑っていらっしゃいました。
父に会うつもりはありません
約束した日時に娘さんはいらっしゃいましたが、ご本人の部屋に行く事もなく、ナースステーションで医師からの説明を聞きたいと言われ、そのまま別室で医師から病状説明を聞くと「父に会うつもりはありません。死んだら引き取りますので連絡をください。」とだけ伝え、帰ってしまわれました。
親子の間に何があったのか、それは分かりませんがうれしそうに笑っていたご本人の顔を思うと、どのようにこれを伝えたらいいかと頭を抱えました。
結局、娘さんは忙しいみたいで時間が取れなかったから先生の話だけ聞いて帰られましたとお伝えしました。
患者さんは少し寂しそうに「そうか。」と言われました。
そして本当に最後まで、会いに来ることはなくこの患者さんは一人で息を引き取り、その後で娘さんがきて事務手続きだけを行って遺体を引き取っていかれました。
今思う事
私にも両親の離婚後ろくに会っていない父がいます。
そしてこの出来事の後で、父が肺がんだといとこから連絡をもらいました。
その時、この患者さんのことが頭をよぎりました。
やはり、1人でひっそりと息を引き取ったその人のことを思うと自分の父親をそのまま放っておくことは出来ず、会いに行きました。
今では抗がん剤が功を奏して奇跡的にも肺がんはほとんど完治と言っていいくらい影は見えなくなり、経過観察中ですが。
家族ってあまりにも当たり前にそばにいるからこそ、普段はついおざなりにしてしまいがちですよね。
でも結局、最後に自分のそばにいてくれるのは家族であり、良くも悪くもその家族にどれだけのことをしたのか思い知るのは、人生の最期の瞬間なのかもしれません。
何があってもやっぱり家族は大事にしないと、人生の最期の瞬間に後悔することになると思います。
長いこと生きてきて最後の最期が独りぼっちってなんて寂しいんだろうかと私は感じてしまいました。
もしかしたら、ご本人からしたらこれでよかったと思っているかもしれませんが。
私はやっぱり一人で旅立つのは寂しいからいつかは結婚して家族を作ろうと思った瞬間でもありました。
さいごに
看護師はいろんな最期に立ち会います。
本当に十人十色で、眠るように穏やかな最期を迎えることが出来る人もいれば、最期まで苦しんでしまう人もいます。
もっと症状のコントロールが出来なかっただろうか、もっと早く異変に気づけなかっただろうか、後悔することもたくさんあります。
逆に、良い看取りの看護が出来たなと満足できたことは少ないです。
それでもご家族から「ありがとうございました。」と言って頂けると救われる思いです。
看取りの看護はやり直しがききません。ただ次の看取りに活かすことは出来ます。
今まで看取らせて頂いた方の数だけ、貴重な経験から学ばせて頂きました。
私たち看護師に出来ることは、こうやって貴重な経験から学ばせてもらい、次に活かすことだけです。
今の状態に満足して停滞せず、最期の命の灯から様々なことを学び、自分の仕事に、人生に活かしていきたいと思います。
あなたは看取りの看護について、どう思われますか?